本当にあった怖いおならの話

お題「わたしの黒歴史」

 

ブログを始めたきっかけは、おならの失敗が多くて恥ずかしかったのを、どうにかポジティブに考えられないかと思ったからなんだけど。

 

そんな、自分の放屁に怯える日々が始まるきっかけが、私の黒歴史

 

あれは、小学校高学年の頃。

視聴覚室か図工室か。

なんか、そういう普段使わない部屋での視力検査のときのこと。

 

男女二列ずつに並び、視力検査板を背に向けて、体育座りで待機するよう指示されていた私たち。

 

友達と雑談しながら、自分の順番を待っていたのですが、、、

なにかの会話の中で、私がおかしなことを言ったのか、友達に

「もう〜コロったら〜」

と、真横から肩を押されたのです。

 

すると、なんということでしょう。

室内に響き渡るくらいの大きさの音を抱えた空気が、体育座りのまま床に転がる私のお尻の穴から逃げていったのです。

音としては

ブ⤴︎⤴︎⤴︎

と言った感じでした。

 

私は、その自分から出た音に驚きながら、しかし、それとはまた別の感覚にも驚いたのです。

 

......おならしたい感覚なんてなかったのに。

 

なんと言うことでしょう。

私の腸は、おならの感覚を事後報告したのです。

したい感覚もないのに、肛門に力を入れるはずもありません。

 

あまりの大きな音に、取り繕える筈がないと確信した私は、転がった体を起こし、体育座りに直り、友達に言ったのです。

「もう! 急に押すからおなら出てしまったよー」

友達は言いました。

「ちょっと、すごい音したよー」

 

それから後の記憶はあまりありません。

 

 

 

もう一つ。

学生時代の話を。

 

アレは、全校集会の時だったでしょうか。

やはり、私は他の生徒同様、教師に体育座りを命じられ、周りの生徒と隙間のないくらいの狭い場所で、居心地の悪さを感じながら過ごしていたのです。

 

校長や生徒指導の長い話のなか、

私のお腹は、ボコボコと空気を溜めていったのです。

滑りの良さそうな腸の粘膜(あくまてイメージです)の中で、空気と空気が出会い、塊になり出陣準備ができるまでにそう時間はかかりませんでした。

 

ヤバイヤバイ。

おならがしたくなってきた。

 

しかし、私には視力検査の時の思い出があります。

 

私は考えました。何が正義か。

① 音を立てずに空気を体外に追い出すか。

② 手を挙げて、トイレに行かせてもらうか。

③ 力の限り、ガマンするか。

 

私はお腹をよく壊す子どもだったので、匂いに自信がありません。

よって、①は却下です。

 

全校生徒の前でトイレに立つために挙手する度胸も、当時の私にはありませんでした。

よって、②も却下となります。

 

③しか選択肢に残りません。

 

 

私は、ガマンしました。

もう少し。もう少しだから。と。

最早自身の脳を落ち着かせるために思っているのか、それとも、頑張る肛門を労うためなのか分かりませんでしたが、それでも呪文のように心の中で唱えました。

 

もう少しだから。

 

しかし、肛門付近で出待ちをしていた空気は、硬く閉められた扉を開けることを諦め、お腹の中に引き返してきたのです。

それは、さながら、渋滞に根負けした車が家に引き返すかのようでした。

 

すごい音がしました。

場所は体育館です。

響くなんてものではないです。

 

なんと言うことでしょう。

肛門から出なくても、放屁音は出るのです。

それは、初めての発見でした。

匂いはないはずです。

正確には、体外に出ていないのですから。

 

しかし、思春期真っ盛りの私に、どうしてその真実を話すことができたでしょうか。

 

次の日も登校しました。

クラスメイトは優しい人たちばかりです。

おならについて触れてくる人はいませんでした。

 

だけど、隣のクラスに用事をしに行ったとき、目があった男子に言われたのです。

 

「屁」

 

と、その一言だけ。

その後の記憶はあまりありません。

不登校になった覚えはないので、おならをした私を責めたのは、その言葉だけだったのでしょう。

 

 

 

おならをガマンできる人にガマンできない人の気持ちは、分からないでしょう。

ガマンしているのに出てしまう。

おならの逆流の放屁音も、経験した人にしか分からないと思います。

 

それは、

太りたくても太れず貧相な自分をコンプレックスに感じている痩せた人に、

「細くて羨ましい」

などと言って、褒めたつもりが実は傷つけている。

そんな現象に似ていると思います。

体験していないから分からないのです。

 

 

 

行動の前には必ず思考がある。とよく言われています。

他人の言動が理解できないものだったり、コピーを10部頼んだはずが、ニコニコとコピーした50部を持ってきたり。

もし、そういう、人の言動のために、ちょっとイラっとする感覚があっても、必ず、考えがあってのことだと。

 

まずは、どうして?と自身で考えてみたり、理由を聞いたりする余裕を持ちたいと思うのです。

そして、それは、意外と腑に落ちる理由だったりします。

 

 

最近は、漢方がよく効いているのか、おならの失敗は少なくなりましたが、

例えば、私なら

「笑。どうしたの? お腹の調子悪いの?」

って聞いてもらえると助かります。

「過敏性腸炎のガス型なの。したい感じないのに出たり、お腹の中で破裂音するの、、治療中なので、よくなるまで不快かもだけど、ごめんねー」

って言いたいです。

女職場だからそう思うのかもしれなくて、男職場に女数人だと、気づかないふりの方が感謝です。

 

 

本当にあった怖いおならの話

および

おならの失敗から得たものでした。

 

 

私が本の中の住人だったとしたら

小説や漫画、テレビ。

 

私がその架空の世界の人物だったとしたら。

そう考える時がある。

 

私は、確かにその世界に存在するけど、その世界の中の私の全てを見ている人がいるとしたら。

 

 

例えば小説だったら。

他人のことはよく分からないから、自分が主人公の世界を考える。

 

私の名前は明美

どこにでもいる普通の女だ。

 

彼女の名前は明美

彼女は、時々周りの人をざわつかせる。

なぜか。

 

彼女の言葉は脊髄反射で出てくるからだ。

例えば、熱いものに触れて思わず手を引っ込めてしまう。

脚の甲を叩かれて、足が上がってします。

所謂それだ。

 

 

彼女は、退職間近の上司に尋ねようか考えようとする。

「退職金ていくらもらえるんですか?」

 

普通は興味があっても親と子ほど年の離れた人に聞ける言葉ではない。

だけど彼女の脳裏によぎった文章は

彼女の意図とは関係なく口をついて出てしまうのだ。

 

 

「退職金ていくらもらえるんですか?」

 

 

驚きの表情を隠せずに、それでも自分の子供ほどの年齢の後輩だと

きっと、そう瞬時に自分の中の、彼女の言葉への反発心に反応したのだろう。

 

 

その上司は笑顔で答えるのだ。

「まぁ、老後困らない程度かな」

 

 

しかし、彼女は他人の表情を読み解く力はあるのだ。

だから、彼女は思う。

(しまった。聞いてはいけないことだった。)

 

 

 

彼女は何度も何度も周りの優しさや、懐の深さに救われていることに気付く。

 

こんな風に、一瞬表情を強張らせ、それでも許したかのような笑顔で

自分の無礼な言葉に答えてくれる人がいる。

 

そんな優しさに包まれながら、彼女は生きてきた。

多少の息苦しさは感じながらも、それでも自分を消すことを選ばないでいられる環境を、彼女は周りの人によって与えられていたのだ。

 

 

 

彼女の心は、彼女の発する言葉のようになんのオブラートも持ち合わせていない。

だから、彼女はいつも思う。

あの人を傷つけてしまったのではないか。

それは、友情や恋情の向ける先にのみ存在するものではない。

 

親に言った言葉。

兄弟に発した言葉。

 

それぞれにも適用される。

 

 

彼女は、いつも罪悪感でいっぱいだ。

自分の発する言葉に、なんのクッションも挟まず。

脳を介していない言葉。

 

だけど彼女は、自分の発した言葉の相手の表情を忘れることができない。

 

夜、眠りにつく前に

彼女は、一日を振り返る。

 

「そういえば、あの人のあの表情はどういう気持ちから出たものだろう」

「あの人の話を私はちゃんと聴いてあげれていたのかな」

 

確かめようのない、否、確かめる必要もない

きっと、他の人たちは、ここまで他人の発した言動を振り返りはしないだろう。

それは分かっている。

 

彼女が考えるのは、他人の言動ではなく自分の言動にあった。

 

自分は人を傷つける人間なのだ。

物心ついた頃から、彼女は自分をそんな風に評していた。

 

言葉遣いを気を付け、声のトーンを考え。

社会人になって幾年か経った彼女には、その口調は脳を介さずともできることだった。

 

しかし、彼女は

自分は人を傷つける人間だと分かっている。

だから毎夜考えるのだ。

 

今日のあの言葉のあとの彼女の反応。彼の反応。

私の言葉がもたらした感情の現れなのではないか。

 

 

もしかして、こういう捉え方をされたのでは?

こういう言い方の方が良かったのでは?

あぁ。その後の会話の相手の表情はどうだっただろうか。

 

 

答えのない世界に今夜も彼女は身を投じる。

 

 

そんな私はは、50ページ程度の紙の中に存在する。

その紙は無料で見られる、退屈な小説の中の一短編に過ぎない。

フリックされたら終了する

そんな指先で簡単に消される、ただの一コマなのだ。

眠りにつくまで

今日がダメなら明日。

明日がダメならあさって。

 

いつか眠りにつけるはず。

 

別に今日じゃなくたっていいじゃないか。

明日じゃなくたって。

なんなら、週末に寝だめでも。

 

 

 

 

 

23時。

そろそろ寝ないと、明日仕事にならない。

 

ベッドに入る。

 

彼女が入った寝床は、近所の有名な寝具専門店のマットレスに、冷感素材のベッドパット。

枕はセミオーダーのものだ。

 

 

彼女は、こと睡眠に関してはひどく神経質で、頻繁にカバーを洗濯し、寝たいと思う時間の3時間前には入浴を済ませた。

 

室温は26度に保たれている。

 

しかし、なぜだか彼女はベッドに入ると緊張するのだった。

 

 

早く寝ないと。

早く。

早く。

早く。

 

 

ベッドの中で身を強張らせ、早くその時が来ることを、目を強く閉じて待つ。

 

消灯まではちっとも気にならない時計の針の音が耳に障る。

ブルーレイレコーダの機械音が。

エアコンの風の音が。

 

部屋に設置したあらゆるものの音

二重窓の向こうの自然界の音も

彼女の耳には、もはや騒音にしか聞こえない。

 

彼は言う。

「寝るの諦めたら?」

 

彼女は思う。

「他人ごとだと思って」

 

 

右向きになり5分。

左向きになり10分。

 

重なる膝小僧の横っ面が、彼女が骨ばった体だと訴える。

 

 

23時半。

足元に丸めておいた羽布団を足の間に挟み、赤みを帯びた膝小僧を助けてやる。

 

 

24時。

彼女は彼の言葉を思い出す。

 

枕元に置いてあるリモコンでテレビをつけ、テレビに目を向ける。

しかし、せめてもの抵抗とブルーライトカットを意識し、テレビの画質を下げる。

 

 

つまらない画面の中の出来事に退屈し、目を閉じてみた。

テレビと反対の方に体を向ける。

 

 

 

次の意識は

翌日の朝にあった。

 

 

 

なんということか。

眠りへの執着が途切れることで

眠りへの道が開かれたのだ。

 

 

彼女は思う。

明日もテレビをつけたまま寝よう。

スリープタイマーは忘れずに。

鬼のような人だと私は言った。

鬼のような人だ。

他人を悪く評するときに私は思う。

 

鬼のような人だ。

鬼畜。

と。

 

 

鬼のイメージと言えば、頭から1つか2つの角が生えてて、

顔色が赤か青か。

赤鬼青鬼のそれ。

ヒョウ柄の腰巻に、半裸。

 

私の知っている鬼と言えば、そんなもの。

あとは、地獄の赤いマグマに住みつく。

子供が石を積み上げているのを邪魔する。

 

人でなし=鬼のイメージ。

 

人が嫌がることを率先して実行。

もしくは、なんの気もなくとった言動が人を深く傷つける人。

それは、もう鬼なのではないかと思う。

 

あるテレビ番組で、画面に映る中年女性が言う。

「自分にとっていい人も悪い人も、結局は自分に必要な人」

と。

 

 

本当にそうだろうか。

本当にそうなのであれば、世の中にハラスメントなんて言葉は存在しないと私は考える。

 

そして推測する。

その中年女性の人間関係の巡りは、とても恵まれていたのではないかと。

 

何かの本か雑誌で読んだことがある。

人は、自分を傷つけた人を許すことができないと。

 

傷にも種類はあると思う。

自分で癒せる程度の傷。

友人や家族に助けられ、見守られ癒すことのできる傷。

どちらも時間の経過とともに、風化される、謂わば乗り越えることのできる傷。

 

私は思う。

時を重ねても、うやむやにできない傷をつけた人は許せない。

 

だからと言って、決してその人を不幸にしたいわけでもない。

ただ、自分は他人に傷をつけられるような人間なんだ。

他人に傷をつけてもいいと思われる

そんな軽んじられる存在なんだと

悲しくなり、

傷が入った私の気持ちは、私の脳裏にこびりついて離れないのだ。

 

 

他人を変えることはできないと。

その事実を知っている私は、

自分の傷と向き合うことしかできないのだ。

 

だけど、自分の気持ちからは目を逸らすことはできない。

目を逸らそうと

テレビをみて

本を読んで

音楽を聴いて。

 

自分の心との対峙を避け、眠りに着くまで

音のある世界に身を置く。

 

だけど

トイレに行ったとき

お風呂に入っているとき

信号待ちのとき。

 

 

ノックもなしに、扉を開け、避けたい気持ちがこみ上げる。

 

それでも、私は思う。

人を恨むことが自分にとって一番苦しいことだと。

 

幼い私に、母が言う。

「人にしたことは自分に返ってくるんだよ」

 

大人になった今、

心の中で他人を貶して、我慢できずに家族に口走ったりして、

そういう自分の醜い気持ちが

「優しい人でありなさい」

そう言った、両親の気持ちを裏切っている。

そうありたいと思った自分を裏切っていると。

そんな自分は嫌いだと。

自分で自分を傷つけていることに気付いたんだ。

 

誰かに傷つけられるより、

自分で付けた傷の方が、深く跡が残るのだ。

 

これはきっと誰もが思うこと。

 

だから、

鬼はいるのだと私は思う。

 

自分を少しでも好きでいられるように。

自分の中にも

他人の中にも鬼を作って

 

鬼のせいだと

誰も悪くないのだと

そう思うことで自分だけでも自分が好きでいられるように。

 

角が1つでも2つでも

赤かろうが青かろうが

鬼はいるのだ。

いた方がいいのだと。

 

 

それでも、いつか。

死ぬ直前でもいいから

笑顔で

 

鬼なんていなかったよ

 

って。

冷え性とおならは解決したのか。

冷え性って大変。

いつもエアコンの真下にいる感覚。

 

学生時代は、ストール2つに座布団。

1つは膝掛け、1つは肩からくるまる。

「いっつも私にエアコンの直風が来る!」とイライラして、友達に「そんなはずはないww」と言われたものだ。

 

年を重ねるごとに冷えはひどくなり。

でも、年を重ねたからこそ、そんなことでイライラもしてはいられないのが社会人てもの。

かと思えば、パーって暑くなって汗が出る。

寒くてあったかいお茶ぐびぐび飲んで、飲んだらトイレ。

トイレで熱放出?

寒い寒い。

またあったかいお茶

またトイレ。

寒い寒い。

何やってんだろうって。バカバカしいのに寒いからどうしようもなく。

 

 

おならはしたくもないのに、お腹の中でブーっとなる。

(周りに聞こえる)

 

冷えのせいか浮腫むし、痛くなるし、寒冷蕁麻疹になったこともあったっけ。

(寒冷蕁麻疹は冷えとは関係ないのかな?)

 

何にせよ

他人と同じ空間にいる恐怖

(無意識ででるおなら)

他人と同じ空間にいる不快感

体感温度の違い)

5時ダッシュっていう抵抗でしか逃れられない。

 

室内でライトダウン着たり、ウインドブレーカー着たり。

寒いけど、他の人に迷惑かけたくないから、着脱で調節。

さっき知ったけど、冷房弱者って言葉があるみたい。

でも、これ見よがしに着込んでる(そんなつもりはないけど)私が冷房弱者なら、そんな私に気付いて暑いのを我慢している人も何かしらの弱者になるのでは?と思う。

 

 

母が言った。

「一度医者に診てもらったら?」って。

 

 

冷え症で医者ってww

って思って行かなかったんだけど、ここ数年は、おならのお腹の中での爆発💥も気になって。

 

ついに行ってみた。

毎年の健康診断で何も異常がないことは分かってたから漢方外来に。

 

一通り診察したあと言われたのが、

「西洋医学的には問題ないけど、東洋医学的には問題だらけです。」

 

マジかw

 

それで、漢方を処方されて飲むようになった。

 

舌診たり、触診、脈を診たりで漢方薬を変えたりして2ヶ月。

 

 

なんだか調子が良いではないか。

おならの爆発はここ2週間くらい気にならないし、気候があったかくなったのもあってか、ウインドブレーカーどころかカーディガンも着なくて良くなった。

冷えのぼせも気にならない。

 

ちなみに、過敏性腸炎らしい。

ネット検索したら、どうもその中のガス型ってやつではないかと思う。

 

無意識のガス爆発がないなんて。

ガスがお腹の中でグルグルしてる感覚が減るなんて。

 

なんてハッピーな毎日なのか。

 

 

冷えによる痛みがないなんて。

着込まなくていい体の軽さ。

肩こりの減り。

のぼせによるあせも。は、なくなってはないが。

 

 

幸せだ。

 

ちょっとバカにしていた漢方。

ありがとう。

昔々から世の中にあって、病気と診断されない人間の体の不調を緩和してきた漢方。

必要としていた人がいる。

救われた人がいる。

だから、求め続けられてきたんだ。

 

闘ってきた時間が長過ぎて、まだ手放しでは喜べない様子見の段階だけど

主治医を信じてこれからも、不調による生き辛さを救ってもらえれたら。と思う。

この漢方医に出会えたことは感謝でしかない。

ありがとうございます。

寝ているのに唸り声

つい最近、sleep Meisterというアプリを見つけて、始めてみた。

 

睡眠効率だけじゃなく、寝言の録音もできるらしい。

 

私は小さいときから、寝つきが悪くて。

それは、母が玉ねぎを私の枕元に置くほど。

なんかね、母曰く民間療法であるらしいんです。

枕元に玉ねぎの皮を剥いて置くと寝付けるってのが。

 

そんな小ちゃい時から寝付けなくて、だから今なんか仕事してるから大変。

 

眠れたって眠れなくたって次の日は仕事なんだから。

 

 

仕事中ぼーっとしてしまうと仕事の効率が悪くて仕方ない。

だから、枕替えたタイミングでsleep Meisterなるものをやってみた。

 

 

そしたら、寝言と咳が録音されてた。

 

寝言って言うよりは、唸り声。

 

1人で寝てるから知らなかった。

 

自分が寝てるときに辛そうに咳したり唸ってるなんてこと。

 

『寝言 唸り声 原因』で検索かけたら、カタスレニアってのが出てきた。

 

睡眠時無呼吸症候群と合併していることもあるとのこと。

カタスレニアについてはよく分からなかったけど、睡眠時無呼吸症候群は自分にあってもおかしくないと思う。

 

反対咬合で小さいときに矯正したんだけど、その原因の1つに顎が小さいってのがあるって歯科医が言ってた。

 

 

睡眠時無呼吸症候群の原因にも顎が小さいってのがあるから、自分がそうであっても納得がいく。

 

まぁ、だからといって生活に何の支障もないし病院に行くつもりもないんだけど。

 

世の中には、色んなアプリがあって無意識下の自分の言動まで分かるんだから、ホントにアプリ開発者はすごいと思う。

すばるくん脱退

日曜日の昼まで寝ていた私。

そこに一通のメール。

大切なお知らせといった内容のメール。

 

普段ニュースを見ない私は、なんにも知らず、呑気に

誰か大河の主演でもするのかな?

なんて、ハッピーなお知らせとしか思ってなかった。

 

で。再び寝ていたら姉からのお知らせ。

 

corochangの好きなすばるくん脱退だって!

 

うそ!!

え?じゃあ、あのメールの大切なお知らせって!?

 

ジャニーズwebにアクセスして、どうやら事実らしいと知る。

なんで?なんで?と、ネットニュースを読み漁る。

 

 

7年前始めて関ジャニ∞のライブに参戦。

正直付き合いで行った私は、メンバーの名前すら知らなかった。

ただただ、直近のアルバムだけを車の中で聞き流して参戦した。

 

圧倒された!

どこからあんな声が出るんだろう。

なんて心地の良い声なんだろう。

ビブラートがスタンド席の私の体にも響くような。

なんていうか、メロディーに歌がのってるだけじゃないっていうか。

聴いているだけで、一言も発してないのに感じる爽快感があった。

 

帰宅後は、ネットでそれまでのライブDVDを買い漁った。

大げさではなく魅了されたといっていいと思う。

今のところ、こんな行動に出たのは最初で最後で、特別な感じだった。

 

あの声にあうまで、正直ジャニーズなんて、、、って思ってた。

 

 

次のライブはもうすばるくんはいないんだね。

でも、なんでこのタイミングだったのかな?って考えた。

だって、2月の15日に事務所に話したと報道されてて、まだ2ヶ月しか経ってないのに。

少し性急な気がしたから。

 

それだけ、すばるくんの決意が固かったてのもあると思う。

でも、次のライブですばるくんがいないってことをファンに教えてくれるためでもあったのかなって。

 

そう思うと、すごく誠実だなって思った。

 

 

今朝、出勤途中に関ジャニ∞の音楽を聴いた。

いつもはテンションが上がって、気持ちがonになるけど、

今日は、なんか

もう新曲が出ても、すばるくんの声は聴こえないんだって悲しくなった。

 

私の我儘でしかないけど、関ジャニ∞のメンバーでなくなっても、すばるくんを応援する場所があったらうれしいな。