鬼のような人だと私は言った。

鬼のような人だ。

他人を悪く評するときに私は思う。

 

鬼のような人だ。

鬼畜。

と。

 

 

鬼のイメージと言えば、頭から1つか2つの角が生えてて、

顔色が赤か青か。

赤鬼青鬼のそれ。

ヒョウ柄の腰巻に、半裸。

 

私の知っている鬼と言えば、そんなもの。

あとは、地獄の赤いマグマに住みつく。

子供が石を積み上げているのを邪魔する。

 

人でなし=鬼のイメージ。

 

人が嫌がることを率先して実行。

もしくは、なんの気もなくとった言動が人を深く傷つける人。

それは、もう鬼なのではないかと思う。

 

あるテレビ番組で、画面に映る中年女性が言う。

「自分にとっていい人も悪い人も、結局は自分に必要な人」

と。

 

 

本当にそうだろうか。

本当にそうなのであれば、世の中にハラスメントなんて言葉は存在しないと私は考える。

 

そして推測する。

その中年女性の人間関係の巡りは、とても恵まれていたのではないかと。

 

何かの本か雑誌で読んだことがある。

人は、自分を傷つけた人を許すことができないと。

 

傷にも種類はあると思う。

自分で癒せる程度の傷。

友人や家族に助けられ、見守られ癒すことのできる傷。

どちらも時間の経過とともに、風化される、謂わば乗り越えることのできる傷。

 

私は思う。

時を重ねても、うやむやにできない傷をつけた人は許せない。

 

だからと言って、決してその人を不幸にしたいわけでもない。

ただ、自分は他人に傷をつけられるような人間なんだ。

他人に傷をつけてもいいと思われる

そんな軽んじられる存在なんだと

悲しくなり、

傷が入った私の気持ちは、私の脳裏にこびりついて離れないのだ。

 

 

他人を変えることはできないと。

その事実を知っている私は、

自分の傷と向き合うことしかできないのだ。

 

だけど、自分の気持ちからは目を逸らすことはできない。

目を逸らそうと

テレビをみて

本を読んで

音楽を聴いて。

 

自分の心との対峙を避け、眠りに着くまで

音のある世界に身を置く。

 

だけど

トイレに行ったとき

お風呂に入っているとき

信号待ちのとき。

 

 

ノックもなしに、扉を開け、避けたい気持ちがこみ上げる。

 

それでも、私は思う。

人を恨むことが自分にとって一番苦しいことだと。

 

幼い私に、母が言う。

「人にしたことは自分に返ってくるんだよ」

 

大人になった今、

心の中で他人を貶して、我慢できずに家族に口走ったりして、

そういう自分の醜い気持ちが

「優しい人でありなさい」

そう言った、両親の気持ちを裏切っている。

そうありたいと思った自分を裏切っていると。

そんな自分は嫌いだと。

自分で自分を傷つけていることに気付いたんだ。

 

誰かに傷つけられるより、

自分で付けた傷の方が、深く跡が残るのだ。

 

これはきっと誰もが思うこと。

 

だから、

鬼はいるのだと私は思う。

 

自分を少しでも好きでいられるように。

自分の中にも

他人の中にも鬼を作って

 

鬼のせいだと

誰も悪くないのだと

そう思うことで自分だけでも自分が好きでいられるように。

 

角が1つでも2つでも

赤かろうが青かろうが

鬼はいるのだ。

いた方がいいのだと。

 

 

それでも、いつか。

死ぬ直前でもいいから

笑顔で

 

鬼なんていなかったよ

 

って。